The Bucket List

-死ぬまでにやりたい100のコト-

NZ⑤ 思い出の地、クライストチャーチへ。2010年の震災のその後とは。

テカポ湖からクライストチャーチへ。

翌朝目を覚ますと空は澄み渡っていた。晴天率が80%を超えているテカポ湖では曇りを目にする事の方が少ないのであろう。テカポ湖が「世界一の星空」に登録されている理由の1つに、人工の光が周囲に一切無いというのも挙げられる。キャンプ場にはもちろんシャワーも無い。

ということで、私とゾーイ、リジーは目の前の湖へ飛び込んだ(もちろん水着は着ている)。まるで野生に戻ったかの生活は毎日が新鮮である。

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清々しい水浴びの後はゆっくりとコーヒーを飲んだ。そして私たちは次の目的地へ向けて動き出した。私の目的地はクライストチャーチ、彼女たちの目的地とは違いっていたが、途中の街まで乗せてもらえる事になった。

 

キッカケと思い出の地

今回の最終目的地、クライストチャーチへは深い思い入れがあった。実はクライストチャーチを訪れるのは7年ぶり、中学三年生ぶりであった。その時私は語学研修として約2週間程のホームステイをここで経験したいた。

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今とは全く違う顔立ちに驚いているのは私自身である。笑

初めての海外経験、かなり緊張はしていたがニュージーランドの人たちは私達を快く受け入れてくれた。何とかボディコミュニケーションで意思疎通は図れていたが、その時1つの思いが生まれた。『言葉の壁を越えてもっと話したい!』この時の経験した歯がゆい思いは後の私の人生に大きく影響を与えた。英語を喋れるようになりたい、まだまだ見た事ない世界を見てみたい、という思いから現在の大学進路(国際学部)を選び、世界一周という実現にまで影響を及ぼした。

しかし、その語学研修の半年後に起こったのが2010・2011年のニュージーランド地震であった。東日本大震災の引き金となったとも言われているこの地震を忘れる事はできない。私の人生にキッカケをくれたニュージーランド・クライストチャーチが復興をしているのか、どのように変わってしまったか、という気持ちが胸の中で高まっていた。

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 変わり果てた街

ゾーイとリジーにお別れを言う時が近づいて来ていた。見ず知らずの私を拾ってくれて、最高の星空を一緒に見た彼女達には最大限のお礼を言った。たったの2日間がとても長く感じていたからだ。バックパックに唯一残っていた日本のお土産「手ぬぐい」をプレゼントして、バイバイをした。

 その後に私を拾ってくれたのはクライストチャーチ出身のおじさんであった。キャンピングカーの修理を終えた帰りに私を拾ってくれたのだ。彼はとても物知りで、ニュージーランドの気候や土壌、灌漑施設に至るまで色々な事を教えてくれた、震災が起こった当時の事も含めてだ。3時間ほどのドライブは彼の話のおかげで一切飽きることは無かった。

期待と不安が入り混じる中、彼は私を街の真ん中で降ろしてくれた。

少し歩くと、すぐに違和感を感じた。最初は『7年も前の事だから街の事を忘れてしまったか?』と思った。いや、違う。それは私が覚えていた『街』自体が地震によって全く変わってしまっていたからであった。

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クライストチャーチのシンボルであった大聖堂である。100年以上の歴史を持っていたこの聖堂は今では手付かずのままとなってしまっている。7年前はこの聖堂の前は人で賑わい、多くの観光客が笑顔で写真を撮っていた。この惨状を目の当たりにした時、ついに感情がこみ上げてきて涙がこぼれ落ちた。『ここまで変わってしまったのか。』ただただ悲しみを感じるしかなかった。周りの少し高い建物も、目を凝らすと人が住んでる様子は一切無いのだ。ビルの壁には亀裂が走り、もぬけの殻となった姿はまるでゴーストタウンの様であった。

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私達全てが思い出すべきこと

この地域の特徴的な地震は長く続いてきており、街の歴史全体を通して記録されている。昨今の連続した地震は2010年9月4日から始まった。そして2011年2月22日にクライストチャーチを襲ったマグニチュード6.3の地震は、ニュージーランドが受けたここ80年の歴史の中で最も甚大なものであった。(1931年のネーピアの地震以来である)

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涙が流れたのもそれだけ"この場所"へ対する思いがあったのだろう。夕陽を背にしながら、その日の宿へ向けて変わり果てた街を歩いた。

これだけを語ると、一切の復興が進んでいないと思われるかもしれない。しかし、そんな事は無く、少しずつであるが人の手は加えられている。本当に少しずつ。復興状況の写真はこのリンクから見ることが出来る。

allabout.co.jp

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"STAY STRONG CHRISTCHURCH"

7年前、私が目にしたクライストチャーチの街の姿がいつか復興される事を願っている。

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